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借金地獄から生還した司法書士の懺悔録
壮絶な借金地獄から生還した自らの体験を基に、多重債務の相談に尽力している司法書士が綴る、赤裸々な懺悔録
銭に狂った我(19)
M市は新宿から快速で約17分の至近ではあるが、約4年の経験で言えば地元の人は実に素朴であり、又、ローカル性の強い街である。
私の勤務したT不動産は創業50年の老舗であり、創業社長(既に物故)の
T氏は、韓国籍でありながら農家を中心に大変な信頼を得ていた様である
M市は隣接の市と比較して農地が多い所でもよく知られている。
勿論東京の農家が農業で生活できないことはいうまでもないが、単に生産緑地の解除を恐れての体裁ではなく、本当に限られた農地で真剣に畑仕事に従事する姿を日常的に見ることができた。このことはかなり印象に残っている。人は本を読んで何かを得る場合よりも、現実の印象から得たものの方が圧倒的に強く残るものである。では、一体なにを得たのだろうか、中々言葉で表現するのは難しいが、大袈裟に言えばミレーの「晩鐘」を見たような感覚である。M市は明治の時代あるいはもっとその前の時代の国策入植地である。従って現在の当主は何回かの相続を経て
徐々に農地を減少させてきたが、農地を守ることが生涯の目的及び生活信条に成っている人々である。(この稿続く)
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銭に狂った我(18)
47歳での就職活動は、実に厳しかった。殆んどの求人誌は35歳までが中心であり、中高年を対象とした募集は極限られた業種であり、例えば警備員、タクシードライバー、管理人等々である。8年前は今よりも極端に景気が落ち込んでおり、中高年の再就職は、絶望的と言われた時代である。貯金は底を尽き始め、電気代を気にしながらエアコンを回し、一人部屋で悶々と過ごしていた。借金など、どこからもできる筈もなく、犯罪を犯すか、自殺しか選択の道が無いとまで思いつめた瞬間が数回あった。そんな時期に古い知人のアドバイスで不動産会社に目標を限定したところ、私の資格(司法書士、宅建)が決定的に有利に働いた。
資格とはありがたいものである。逆に今度は私が会社を選ぶ立場び成っていた。大きな会社より、少人数の街場の不動産屋が私の希望であった。(ドアに物件を張っている様な店)たまたま都下M市のT不動産で採用されたが、ここでも偶然とは言いながら貴重な経験を得、又、教えられたことがあり、現在もその影響が残っている。(この稿続く)
銭に狂った我(17)
既に述べたが私は約8年前に破綻した訳であるが、その時点で破産の方法もあったが、あえてそれを避け、「逃亡者」の道を選んだ。住民票も抹消され、離婚もし、別のアパートに夜逃げ同然で移り住んだことになる。世間的には「住所不定」である。幸いにも当時は清掃の仕事をしており、当面生活はかろうじて維持できていたが、将来の展望など全くなく、ただ生きていただけである。しかし清掃の仕事は約1年だったが、若い人たちと毎日汗を流すことにある種の「喜び」を感じてもいた。
仕事をし、生活をするという人間の当たり前の基本が、肉体労働を通じてよりハッキリと自覚できた訳でである。この経験は実に大きかった。
自分のような人間でも、何とか生きていけるという自信のようなものが生まれた。このまま清掃員で終わっても良いと思ったりもした。
清掃会社の社長は古い知人であり、社長は将来は会社の幹部へとの思惑もあった様だ。しかし或事情から、退職を余儀なくされたがその後の就職活動は実際のところ難儀を極めた。(この稿次回に続く)
銭に狂った我(16)
前に述べたがバブル時代は本業をおろそかにし、不動産、株に熱中していた訳であるが、お金に対する本人の器量はおそらく持って生まれた範囲を超えることは出来ないと思ったものである。例えば仮に不動産の取引で手数料収入があった場合、その額が100万の場合と1000万の場合と比較すると、私の経験では、100万の方が喜びを感じ、1000万になると何かしら不安感が生まれ、自分がコントロールできなくなった。従ってその1000万を早く消費しなければと、浪費に走ったものである。諸君笑うなかれ、これは現実に経験したことである。わたしのお金に対する器量は、
100万台であり、それ以上は管理する能力が無いことをここに告白する。
最近の事例では、例の「村上氏」が資金量の急激な増加、それに比例して莫大な手数料を手にし(あくまで推測だが)やはり自己コントロール
が不具合になり、それが「検察」のターゲットになったのではないかと見ている。(もっとも私とは桁が大きく違うが)何れにせよ、自分の器量を知ることが人生において大切であると思う訳である。
銭に狂った我(15)
言うまでもないが人間には善と悪が混在しており、私の場合はたまたま収入が多かった関係で(自分の器では)浪費癖が表面化し、問題はその生活が日常化し、そこからある外部からの強制が無ければ脱却し得なかった事が悔やまれる訳である。但し、私は借金で浪費した事は一度も無かったが、必要経費(当時の感覚で)が異常な額に成り、その為に本業
(司法書士業)をおろそかにし、不動産や株に精力の大半を傾注し、バブルがはじけた後は本業に戻りたくても現実には不可能な状態に至ってしまった。(これは精神的及びお客がいなくなってしまったという意味)何とか気力を振り絞り昔のお客を訪ねても簡単に仕事など出してくれる筈も無く、ずいぶん惨めな思いと軽蔑の眼差しを何度か受けたことがある。こんな状況でたまたま入ってきた「儲け話」に乗っかり、多少出資し、又、資金調達に協力(保証人)した結果、消費者金融にまで手を出し、事務所、自宅の家賃は滞納し、立ち退きと離婚に至った訳である。人間はとにかくギリギリまで行かなければ次の転回ができないようである。