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借金地獄から生還した司法書士の懺悔録
壮絶な借金地獄から生還した自らの体験を基に、多重債務の相談に尽力している司法書士が綴る、赤裸々な懺悔録
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銭に狂った我(11)
一般的には他人から見て浪費であった場合でも、本人はいたって呑気に構えているものである。つまり本人は決して浪費とは思っていない訳であり、純粋に自分は今浪費していると思えば中々続けられるものではない。私も過去の状況を考えれば全く浪費をしているとは思わなかった。
今思えば、お金に振り回されていたわけであるが、本来お金は振り回すものである(自己コントロール)。必要な時に思い切ってお金の価値を最大限活用し、常にお金に対し冷静な距離感を持つことが大切である。
このような感覚は、主に本人の受けた家庭教育によるところが大きいと考えるが、本人の資質及び成人してからの状況も関係している。現代は主にマスメディアを通し日常的に様々な欲望への喚起がなされている、これは明らかに異様な社会に我々は生存していると見なければならない。ありとあらゆる商品が人間の形而下の欲望を増幅し、新たな欲望を生み出している。私は経験上そう思うし、今後もこの傾向は更に強くなると予測する。これは勿論わが国だけでなく世界的な傾向である。
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銭に狂った我(10)
私は20代前半で結婚し、約23年間結婚生活を送ったが、その間食事は昼は外食、朝と夜は嫁に作ってもらっていた。当然自分で何か料理する事など無かった訳であるが、40を過ぎ離婚した時期は既に司法書士は廃業して、肉体労働(清掃)をしており日給は8000円~9000円であった。
従って外食する余裕もなく自炊しなければ生きていけなかった。
離婚時に嫁にいくつかの「レシピ」を書いてもらい、何とか自分で料理らしきものを作り、又、毎朝昼の弁当も作っていた。当時は1日1000円を目標に毎日買物をし、一時は家計簿まで付けていた。(離婚時の債権者からの追い込み、借金が増大した事情については別途述べる)そこで初めて野菜や肉の値段が分かり、一日1000円でも充分な栄養を採ることが可能である事を知った。(そう考えるとタバコは大変な贅沢品である)つまり1000円の価値が食材との関係で理解された訳であるが、決して吝嗇を主張しているのでは無く、それを知った上での浪費と、無知な状況での浪費とは大きな違いが生まれると言いたいのである。
銭に狂った我(9)
当たり前の事だが、人間は年齢を重ねることによって様々な欲望が衰えて行く、多少の個人差、職業によって違いはあるがこれは異論の無いところだろう。欲望には食欲、性欲、名誉欲、様々であるが、この様なものが如何に意味が無いかは、既にお判りであろう。(欲望に一生涯振り回されている人間は、つまるところ動物とさして違いは無いとも言える)一方、例えば営利企業などは一個人と同視することは出来ないことは言うまでもない。営利企業は無限大の拡大意思を持つことが本来的に要求されており、又そうでなくては存在意義が無い。問題は資本制社会において如何に企業原理と、個人の意思とを調整するかである。何れにせよ私の場合は45を過ぎて離婚し、1人になった果てにようやくたどり着いた心境であり、自分の馬鹿さかげんにあきれ果てているところであるが、死ぬまで馬鹿をやり続けるよりは多少はマシかと自分を慰めている次第である。次回は、金銭感覚を正常に戻す為に「自炊」がいかに有効であったかを述べたい。
銭に狂った我(8)
結局のところ幸福とは、できる限り現実的な不幸が存在しないことである。不幸を災厄と言い換えても良いが、一番わかりやすい例が健康である。表面的にはどんな栄華を満喫している御仁でも、ひとたび病に犯されれば幸福感など一気に喪失してしまう事はお解りと思う。(但し健康で長生きすることが最大幸福などと言っているのではない。最近の異常なまでの喫煙パッシングは、この点が解っていない。長命な人でもキレイな顔と実にいやらしい醜悪な顔つきと分化していることは、少し観察力のある人であれば日常感じられるところであるが、最近の日本人の顔は私の若いときより確実に悪くなっており、ヨーロッパにおいてもその傾向が出ていることは実に嘆かわしい事である。)
民主党の菅氏が最近「最小不幸社会」と言っているのは、論理的に全く正しいものであり、馬鹿なワイドショーのコメンテーターが消極的だなどと批判しているのは自分は阿保であると宣言しているに等しい。
(但し私は政治には全く興味がないが)
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